AIが社会実装されていくことで鮮明に問われつつある「不確実性」との向き合い方
#85 Traces of Choice (20260525〜20260531)
Traces of Choice は、JTCのIT部門で働く音楽愛好家が、ジャンルを横断して、日々気になった / 面白かった情報をキュレーションしてお届けするニュースレターです。最下部のEditor’s Noteにて、気になった情報を横断して一つにまとめた論考を書いています。
1.Tech
逮捕された巨人・阿部慎之助は最初の”被害者”である…若者に広まる「ChatGPTに相談」が日本社会から奪うモノ
この話は、社会にAIを実装していくフェーズにおいて、とても重要な話だと考える
ChatGPTには「まあまあ落ち着いて」が通じない? 巨人・阿部監督を辞任に追い込んだ“文脈なき正論”のわな(1/2 ページ) - ITmedia Mobile
「なぜ通報した」被害者が責められる異常さ…巨人・阿部監督の涙の会見“長女の手紙”代読に感じた違和感 - 弁護士ドットコム
阿部慎之助監督「逮捕」報道、警視庁は広報なし…「捜査関係者によると」が生む危うさ - 弁護士ドットコム
「捜査関係者によると」問題は、ちょっと別な話な気はするが
AI native時代の袋小路 ― 見立てる力はどこから来るのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
とても大事な話をしていると思う。AIが普及して当たり前のものになっていく時代において、人間が持つべき判断力をどう維持していくのか、という話。
AIの成果物を、人類がレビューしない時代がくるのではないか?|深津 貴之 (fladdict)
これはAIの話というよりは、「不確実性をどのようにコントロールするか?」という話が、インパクトは変わりこそすれ、AI時代でも変わらず重要だ という古くて新しい話をしていると読んだ
これは例えば、人間の不確実性をもとにした仕組みということで「民主主義」もそうだと思うんだが、 その「民主主義」が壊れ掛かっているように、AIのスケール感での不確実性を人間が最低限のラインであってもコントロールできるのだろうか?というのが、自分はわかっていない
投資は流行っている、なぜなら投資はカルチャーだから―『テクノロジカル・リパブリック』感想|三宅香帆
この文脈から考えたことはあまりなかったが、 仮に日本で「投資は流行っている」とすると、NISAの影響は強そうで、海外だとテイスト(センス)とか予測市場の影響が強そう
多くのテック企業がグッズ等でリアルでの接点を持とうする動きがあるのは、テイスト(センス)の流れが強そう
Why is Silicon Valley suddenly obsessed with being tasteful? | Fashion | The Guardian(なぜシリコンバレーは突然、センスの良さにこだわるようになったのか?)
パランティアが作業着売っているのとか興味深い
この動きは、投資との関連性はわからんが、ほっておくとコモディティ化するテック企業が、各プロダクトだけでは伝えきれない、一段上の思想やテイスト(センス)を伝えるために、”顧客の五感と感情に直接アプローチする”ものとして、機能してるんだろうなと思う
DeepResearch:https://g.co/gemini/share/2f00eb179e4b
韓国では投資が流行っているらしい
”対照的に今年いちばん熱量を感じたのが、投資・資産形成のジャンルです。じつは昨年5月の商談ではまったく関心を持たれなかったのですが、いまは韓国は空前の投資ブーム。商談では開口一番に「投資関係の本はありますか?」と聞いてくる出版社が多かったです”
アルゴリズムをすり抜ける言語──AI監視が変えたアラビア語のかたち
これぞAIネイティブ的な、ネクストジェネレーションって感じの話だ
“中東のSNSではAIモデレーションが日常言語にまで影響を及ぼしている。アラビア語話者は言語の多層性を利用しながら、機械に読まれにくい新たな表現を生み出している”
【レビュー】”着けっぱなし”が価値 グーグル「Fitbit Air」は健康トラッカーの傑作か
スマートウォッチの多機能感に魅力を感じている人は不要だと思うが、Oura Ringに興味があったりどちらかというとヘルスケア目的であれば、選択肢として全然ありだと思う。特にGoogle AI Proを契約している場合は。
使い始めたが、今の所は結構良い感じ
【サービス】オンライン動画サービス利用率83% 有料動画サービス利用は10年で拡大、シニアも3割超(2026年5月28日)
個人的には意外とそんなものか、と受け取った この10年でもそこまで劇的に増えたとは読めなかった(そもそも2015時点で結構使われてたんだな)
いつも同じ話を考えてしまうが、そう考えると、2010年代でスマホの普及率が4%から90%まで行ったことの影響は比にならないレベルですごいと思う
2.Business Skill
XユーザーのF太🐈⬛さん: 「ローマ字のままAIに投げるのがラクすぎる」
“ローマ字でAIに文字入力するのが習慣になりつつある”という話、面白いとは思うのだが、いまいちよくわからなかったのは、これはリアルタイム翻訳されるような仕組みを構築しているということ? テキストを書くというのは、同時にテキストを読むということであって、ローマ字のままのものを読むことの苦痛さったらないので、リアルタイム翻訳されるならばいざ知らず、されない場合はだったら音声で良いんじゃないって思うので、いまいち理解ができなかった
まぁ音声が許されない場面とかならありえるか
3.Music
テクスチャーの時代が到来――ILLIT、KiiiKiii、cosmosyに見るビジュアル表現の最前線 - WWDJAPAN
“わかりやすさ”的な土俵ではないところで、統一感や一貫性を、どう見せるか/見出すか、みたいな話に読めた
「訂正可能性」的な話とも通ずると思うのだが、どのレイヤーで見るかで、物事の捉え方はだいぶ変わる
“2020年代に突入して以降、美学(aesthetic)による表現が拡大していったのは周知の通りだが、現在のK-POPビジュアルで起きている変化は、その先へと歩みを進めている。昨今は、「異なる美学をどう同居させるか」というテーマが前景化しているのだ。例えば、お姫様っぽさとストリート感、ローファイとAIっぽさのような、本来なら噛み合わない感覚をどう成立させるか、という問いである”
“コンセプト/世界観重視の傾向は現在にも受け継がれているものの、NewJeans(ニュージーンズ)の出現以降、その表現においては美学が前景化し、さらに最近は美学同士が混線してきている状況だ。コケットコア(Coquette core、フリル、リボン、パフスリーブなどを取り入れた、少女のようなあどけなさと色っぽさをミックスしたガーリースタイル)とストリート、フェアリーグランジとY2Kのように、本来なら別々に存在していた感覚が同時に混在するようになった。「今日はバレエコアで、明日はスポーティー」といったSNS投稿も珍しくない。その結果、いま重要になっているのは「何系か」という分類以上に、「異なる要素がどんな空気の中で共存しているか」という点。ゆえに最近のK-POPは、明快な世界観設定だけで全体を統一するのではなく、色温度や光、粒子感、湿度といった“テクスチャー”によって、複数の美学をひとつの感覚へとまとめ上げるようになっている”
Spotify、プレミアム会員向けコンサートチケット予約機能「Reserved」導入 | Musicman
まぁこうなるわなぁ
ファンクラブ的な話とはまた違った、一つのあり方としては面白いとは思うが、”開かれ方”との天秤が難しいね
4.Book
カレン・ハオがOpenAIとサム・アルトマンをえぐる『Empire of AI: 新しい帝国が生まれるとき』が7月に出る - YAMDAS現更新履歴
読みたかったやつだ、楽しみ
5.Video・Podcast
「音声メディア」市場はどう変わったのか──最新事例で読み解く【2026年版】|緒方憲太郎(Voicy代表)
流石に綺麗にまとまっていた
CANTEEN Vlog #2 「POP YOURS 2026編」 - YouTube - CANTEEN STUDIO RADIO
動画本編が良いことはもちろんのこと、概要欄が名文である
年々、こういう裏方に想いを馳せるようになってきているきがする
音声生成AI「Huxe」、サービス終了 NotebookLM元開発者ら設立 | ニュース | IT×エンタメの最前線を届ける | MEDIAMIXI
おーまじか、最近知ったばかりだったのでびっくり、、、動きが早い、、、
[“2025年9月に公開されたAIラジオアプリ「Huxe」が、5月に入って日本語圏のXを中心に再注目されている”
ニーズとしては確実に一定あると感じるが、冷静に状況を見た結果かな、、、
“パーソナルポッドキャスト生成機能は、NotebookLMが普及させた後、アドビ、アマゾン・ドット・コム、イレブンラボ、メタ・プラットフォームズ、Spotifyといった大手企業がこれに追随。多くのアプリやサービスにおいてありふれた機能となってしまったことで、ユーザー拡大と利益確保が困難になったとみられる”
”Huxeの終了発表も、Spotifyが似た機能を出した同じ日だった”
6.Other
ジャーナリズムの死/公式はオールドメディアを「殺す」のか① - 集英社新書プラス
めちゃ興味深い “陰謀論”的なものを考える時にも、”公式”とは一体何なのかを丁寧に紐解く必要があるように思うし、その”公式”がどのように作られているのかは、とりわけ重要だ
「長迫智子,小谷賢,et al. SNS時代の戦略兵器 陰謀論 民主主義をむしばむ認知戦の脅威」より引用
「陰謀論とは、過去、現在、未来の出来事や状況の説明において、その主な原因として陰謀を挙げるものを指す。(中略)陰謀論は、何かを非難する見解であり、真実あるいは虚偽である可能性があり、また認識論的権威による公式な意見が存在する場合には、それと矛盾するものだ」 ここでいう認識論的権威とは、簡潔に言えば、学者や裁判所、議会などの専門家を指している。歴史的に、社会制度の変革を恣意的に狙った陰謀として要人暗殺などが実行されたケースはあり、陰謀に言及することそれ自体は陰謀論ではない。ただし、それは司法や行政、研究などで事実として明らかになった場合に客観的な議論が可能となるのであり、それまでは陰謀と決定する態度は留保する必要がある。それにもかかわらず、証跡やデータが十分でない状況で何らかの事案を陰謀と決めつける、もしくは陰謀を否定するデータなどがあるにもかかわらず、それを受け入れずに陰謀と決めつけて非難する、そうした言論のあり方が陰謀論となるのである。
JAL飲酒チーフCA、同僚CA促すも検査未実施 全ステイ先で飲酒禁止
非常にJTCっぽい力学が働いた話であった
責任者がルールに従おうとしなければ、下々ができることは、JTC的力学の中では限られるわなぁ、、、
“JALのアルコール検査は、同じ便に乗務する客室乗務員全員が事前検査に合格しなければ、航空法に基づく乗務前検査へ進めない仕組み。ほかの4人は、客室乗務員Aが事前検査を終えていないことを把握し、検査するよう繰り返し促していた”
“客室乗務員Aに検査を促した4人は、Aが監督するグループのメンバーではなく、今回の便で同乗する客室乗務員だったが、Aは年上で職位も上の先任客室乗務員だった。中野本部長は、ほかの客室乗務員が繰り返し検査を促した一方で、Aをバスに乗せない、空港へ行かせないという行動にまでは踏み込めなかった背景として、「権威勾配と言われても仕方のない状況があった」と述べた”
ルールと透明性という難しい話だわ
”海外の航空会社幹部は、日本で飲酒問題が会社の管理責任として扱われることに首をかしげる。海外では、飲酒は個人の問題であり、法律や会社のルールを破れば、本人が職を失うことも珍しくない。航空従事者としての適格性を欠いた個人の問題として扱い、会社が大人の行動をどこまでも管理する発想とは距離がある”
“JALが自ら定めたルールを守り、飲酒事案として説明する姿勢は、透明性という点では評価できる。しかし、それが運航への影響を大きくしている面も否定できない。こうした「体調不良」として早期に交代させる運用は、飲酒の疑いがある乗務員を乗せないという目的を果たし、正直にルールを守っている乗務員への運航負担を軽くする現実解にもなり得る。
一方で、ルール違反を見えにくくすれば、問題のある乗務員が同じことを繰り返す余地も残る。会社が乗務員の行動をどこまで管理すべきなのか。ルールを破った乗務員個人にどこまで責任を負わせるべきなのか。海外のように、会社の問題ではなく個人の体調管理と適格性の問題として、ルールを破れば一発アウトとする方が、正直にルールを守っている乗務員の立場も守られるとも言える”
高市さん、聞かれて答えるのは嫌ですか? 歴代首相に比べ取材対応少なめ、Xでは連日発信なのに…、SNS隆盛時代に問われる報道機関の真価 | NEWSjp
どこまで意識的なのかはよくわからんのだが、時代の潮流に乗ったやり方であることには違いないがゆえに、余計に厄介だよなぁ
“SNSの台頭で既存の報道機関への見方が変わりつつある今は「報道機関の正念場だ」” というのは、本当にそう思う
“高市早苗首相は、歴代首相とは異なる発信スタイルを取っている。報道機関から要請を受け、官邸のエントランスなどで記者団の前で立ち止まって質問に答える「ぶら下がり取材」に応じる機会は歴代首相に比べて少ない。一方でX(旧ツイッター)には1日平均2件を超えるハイペースで投稿を続けている。専門家は、直接、早く、多くの人に発信できる交流サイト(SNS)の台頭が「政治家や受け手の既存メディアへの向き合い方を変えた」と指摘する”
この辺、うまいなぁ
だって此処は霞が関
官僚組織は基本的に悪く言われがちだが、それなりの理由はあるわけで、ということが実感含めてちゃんと書かれていて良かった
“霞が関の官僚たちは、自分たちで言い訳をするようなことはしない性分なので、代わりに僕が勝手に「行政の構造」を、いくつかここで紹介したい。日本で最も頭脳明晰な人たちの集団である。適切な仕事をしていないのでなく、むしろ最適化されすぎているくらいである。問題は、「何に最適化されているのか」が、多くの人たちにはわからないことである”
何につけても、世の中は複雑すぎると思う
伊藤忠系が退職一時金廃止 後払いから現役重視へ、シニア反発も - 日本経済新聞
企業型DC、どうしてたっけな、、、
XユーザーのKumitaさん: 「企業型DCで残酷なのは、せっかくの拠出金を定期預金のみに振り分ける層と、株式型に100%振り分けて運用利回り10%以上の層と二極化すること。 / X
こんな話も。まぁそうだね。世代差は難しい。
#087_Sheep 衰退と復興のあいだ
「宗教復興」的なナラティブを冷静に分析した、良い記事だった
“改宗によって新たに信者になる人の数より、信仰を離れる人の数が上回る状態が続いています。つまり、統計レベルで見る限り、「若者たちが大挙して教会へ戻っている」という言説は事実とは言えません。”
“現在確認できるデータは、「社会全体を覆うような大規模な宗教復興」を支持していません。 ただし、だからといって「すべては幻だった」と切り捨ててしまうのも早計です。ニューヨークの教会が実際に若者で溢れているのも事実ですし、特定の教区で改宗希望者が増えているのも本当だからです。 つまり今起きているのは、「宗教全体の復興」というよりは、局所的な熱狂と、構造的・長期的な衰退が同時に並行しているという複雑な状況なんです。 そしてSNS時代においては、この「熱量の高い少数派」の姿が、実際の人数以上に巨大な文化現象として可視化されやすいわけです。では、その局所的な熱狂のただ中で、若者たちはいったい何を求めているのでしょうか。”
創作には窓が必要だ
フィードバック/リアクションの重要性については、常に考えている
“Off Topicが終わり1、その余波で、Zero Topic by yamottyも最終回を迎えてしまった。それに際して、yamottyは一人Podcastは続かない、というポストもしていた。 この件については、直接会った時に少し話した。なぜ終えることにしたのか、いくつか理由はあったようだが、「フィードバックのなさ」というのも、要因として、小さくはなさそうだった。Podcastはエンゲージメントの高いメディアで、聴いている人の熱心さは数字からはそれなりに分かる。しかし同時に、実は、視聴者からの具体的な反応を得づらいメディアでもある。 皮肉にも、最終回を公表したことで、別れを惜しむお便りが多く寄せられたらしい。「気持ちは嬉しいが、送るならもっと早く送ってくれれば、もっと続けられたかも知れない」、と彼は言っていた。 こういうことはよくある。離職すると言われてから給与を上げるからと言ったり、別れ話をされてから愛を語られたり。しかし、情熱を失ってしまった後では、全てが遅いのだ。消費者側からはあまりわからないが、創作者は消費者が考えている以上に、反応を欲している”
“創作には、他者のフィードバックが必要だ。 消費者は、意外と創作者にフィードバックを直接届けようとしない。必要ないと思われているのかも知れない。そんな時間はないのかも知れない。あの人は凄いから、自分の声なんて必要ないと思っているのかも知れない。結果、消費者が考えている以上に、創作者に届けられるフィードバックは、少ない。そして、消費者が考えている以上に、人からもらう反応というのは、嬉しく、創作の力になる”
全く同意
”チームで仕事をするなら、リアクションし続けよに書いてあることも、近い話だと思う。僕はこの記事が好きだ。あるアイデアに対して、それいいね、と声をもらったとき。いい顔が見えたとき。姿勢が前のめりになってくるとき。そのときとあるアイデアは、はじめて光るのだ、形になる可能性を見せるのだ。… (中略)…. ティム・インゴルドは、私たちの生とは「応答し続けること」であると述べた。完全独立した私自身から、美しい理想的なアイデアが、ある日突然浮かびあがってくるのではない。生きることとは、他のものたちの生に応答することそのものなのだ。そしてその応答は、また翻って、他のものたちの生をいきいきとしたものにする。 — チームで仕事をするなら、リアクションし続けよ”
The convergence of media, entertainment and sports(メディア、エンターテインメント、スポーツの融合)
面白い。スポーツビジネスが今後いかに強いか、という話をしている
“従来のモデルでは、チームは競争的な存在であり、勝つか負けるかのどちらかである。その価値は、おおよそ勝利の頻度に比例すると考えられていた。 新しいモデルは、チームが競争を伴うメディア企業であるというものです。コンテンツを制作し、オーディエンスを構築し、文化的な瞬間を生み出し、商業的な在庫を生み出します。勝利は確かに役立ちますが、もはや勝利だけが全てではありません”
エスコン的なもの含む、日ハムの話もつながりそう
最近自分が出したもの
PODCAST EXPO 2026に行ってきたのでその感想を話す回 ~Podcastが持つ”親近感”と”職人芸”の二面性~ - 余白のエクリチュール | Podcast on Spotify
PODCAST EXPO 2026の感想を話しました!色々言いましたが、良いイベントだったと思いますし、来年も楽しみです
参考記事はこちら→
https://app.notion.com/p/2026-05-29_-55-36e1d2f9389a802a86c9fc9a1966c828?source=copy_link
Editor's Note
速水健朗さんが「生成AIが引き起こした今の時点で最大級の出来事、ニュースでは?」とポストしていたが、真っ直ぐに自分はそう思う。巨人の監督だった阿部慎之助の件である。
前提として、いろいろな見方があるのは承知しているが、自分の理解としては「長女に何らかの暴力があったこと自体は事実。ただし長女も誇張をしていた。ChatGPTとのやりとりを踏まえて児童相談所に相談したところ、警察への通報に繋がり、父の逮捕へと繋がった。長女もここまで大事になるとは思っておらず、ひどく驚いてしまった」と捉えている。
中学生時代に、見る試合毎日ホームランを打ち活躍していた選手が、このような事態になること自体が驚きだったが、そこに生成AIが絡んでいたという事実が、AIが社会実装され始めており、そしてその結果としてこういう問題につながっていくのだという、重要な事例だと考えている。
色々情報を見る中で、この件は、手紙の扱いにおける長女の自由意志の問題や、そもそもの情報の出所に関する捜査情報の取り扱いという、また別種の問題も孕んでいそうだが、それはここでは置いておき、やはり、AIについて考えたい。
あえて極端に見れば、登場人物は誰も悪くなかったという見方ができないわけでもないだろう。躾の範囲だったという見方が全く不可能なわけでもないし、長女がChatGPTにも児童相談所に相談するのももちろん問題ない(誇張したことはよくなかったかもしれないが、人間はそういうものだろう)。相談を受けて児童相談所が聴き取った内容から警察に通報するのも話を踏まえれば妥当。つまり、ロジックで考えれば、なるべくしてなったということだ。
AIは文脈が読み取れていないのが問題だというニュアンスの記事もあり、もちろん一定そういう話はあるのだが、じゃあ文脈を適切に渡せば、ちゃんと判断できるのか?というと、そういう問題だけじゃないと感じている。
ここでは、相当に機微な判断が必要だ。それを誰が、いかにして行うのか。
noteのCXOも務める深津貴之さんのAIの成果物を、人類がレビューしない時代がくるのではないか?|深津 貴之 (fladdict)も興味深かった。
今のエンジニア界隈では、AIの成果物を人間がレビューすることの是非が結構盛り上がっているのだ。なぜなら、もはやコーディングなどの領域では人間よりもAIのほうが明らかに”高性能”になっており、人間が間に入ることで、品質もスピードも落ちるということが現実的に起きているから。
ただ、ここで深津さんが言っている
人間が握るべきなのは、内部の全手順ではなく、境界条件、評価軸、停止条件、責任分界である
全部をレビューしようと粘るより、何を握るべきかを設計し直したほうが、ずっと強い
というようなことは、古くて新しい話だと感じた。
AIというのは、これまでのシステムを司っていたプログラミングとは概念が根本的に違い、本質的に不確実性を孕むものであり、その不確実性をうまくコントロールするためには、レビューという手段ではなく、もっと仕組みから設計が必要だ、というような話と理解しているが、書いていることはその通りだと思う一方で、多分それは例えばそもそも「組織設計」って、人間の不確実性をいかに扱うかという問題なんじゃないか、つまりこれまでの問題の延長線上なんじゃないかと思った。
ただ、この時代においては、超物量を超速度で扱うAIの話を前提に考えなければいけないという点において、扱わなければいけない不確実性のレベルが人間の扱えるレベルを超えている気がする。ただでさえ「民主主義」という人間の不確実性を扱う仕組みも壊れてきている時代である。いかにして我々は不確実性を扱えるのか。
『イシューからはじめよ』や『シン・ニホン』の著者である安宅 和人さんのブログ、AI native時代の袋小路 ― 見立てる力はどこから来るのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketingもこの流れで考えたい。
強引にまとめると、AIが普及して当たり前のものになっていく時代において、人間が持つべき判断力をどう維持していくのか、という話をしていると思う。
人間社会における色々と複雑なことが、良くも悪くも漂白されて、AIで回せるようになった時に、人間に残るのは「判断」だけだが、それを行う/行えるのは経験を積んだシニア層のみ。ジュニア層はその経験を積むことすらできなくなる。がいずれシニア層はいなくなる。その時に一体どうなるのだろうか。
ある視点からは、社会はあたかもシンプルに廻っているのように見えているかもしれないが、まさしく阿部慎之助の件のようなことがあちらこちらで起きるのではないか。
そういった「判断」の必要性も、その結果の影響といった不確実性を極小化していくための動きが必要だ、というのが深津さんの言っていることだと思うが、どこまで行っても「判断」が必要なことは間違いない。
その「判断」を誰が、どのように行なっていくのか。それを社会的なレベルでちゃんと考えなければいけない。そういうことを考えるべき事件だったと思う。
安宅さんはそういうことを地に足つけて考えているなと思う記事だった。
結局、大事なのは、地味なことでも淡々とやり続けることだと何につけても感じる。三宅香帆という人の最も凄いなと思う点は、そういった点だ。
なにせ、どれだけ忙しくなっても、毎月noteに8記事上げ続けるというこのやり切り力。自分が観測する限り、一回も落としてないし、ほとんどが月末に結構強引に間に合わせている。こういう胆力こそがやっぱり重要じゃないか。これでしか人に宿らないものが確実にある。ひたすら効率を求めて漂白されていっても不確実性が消え去ることはない。むしろ漂白されればされるほど、その不確実性といかに向き合うかの重要性は増してくる。そこで必要となることは「判断力」という言葉には収まらないはずだ。我々は不確実性をなくすのではなく、確実にある不確実性と向き合い続けなければいけない。そのために、非効率でも淡々とやり続けることが重要だ。AI礼賛ではなく、こういうことをひたすら言い続けたい。
今後3~5年で圧倒的な成果をあげたいなら、AIへのコミットはある程度必要だろう。でもその先を考えると、AIはそのうちもっと一般的なものになるから、あまり気にしなくていいのでは、と思っている。だからこそ、自分はAIの話とは一定の距離を取りながら、やるべきことを淡々とやり続けたい。







